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広島高等裁判所 平成3年(う)194号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、主任弁護人足立修一及び弁護人阿波弘夫連名作成の控訴趣意書及び平成四年六月二三日付け控訴趣意補充書に、これに対する答弁は、検察官弘津英輔作成の答弁書に各記載されているとおりであるから、これらを引用する。

第一  控訴趣意中、事実誤認の論旨について

論旨は、要するに、「原判決は、次の諸点に事実誤認があり、それが判決に影響を及ぼすことは明らかである。すなわち、(一)原判決は、原判示第一のとおりC子に対して殺人予備罪の成立を認めているが、被告人は、C子に対して確定的な殺意を抱いておらず、かつ、約五五メートル離れたところで待機し、C子が扉を開ける可能性の全くない口上をQに言わせているに過ぎず、その危険性の程度は低いことから、被告人がC子方に行った行為は殺人予備罪に該当しない、(二)原判決は、原判示第二のB子、G夫婦に対する殺人につき、被告人が昭和六三年六月七日に出刃包丁を購入した時点で殺意を認定しているが、被告人は、本件当日(同月一二日)、Gが被告人に対してまともに取り合おうとしなかったため同人らに対し殺意が生じたものであって、被告人がB子及びGに確定的に殺意を抱いたのは、本件犯行の直前である、(三)原判決は、原判示第二のとおりE子に対する殺意を認定し、殺人罪の成立を認めているが、被告人はE子を弁当を注文しに来た客と思っていたもので、同人に対して殺意を抱く動機がなく、また、E子に対しては死の結果発生を避けるような行動を無意識のうちにとっていることをみても、被告人は、E子に対し殺意がなかったものであり、殺意を認める旨の被告人の捜査段階の自白は信用することはできない、(四)原判決は、被告人に対して完全責任能力を認めているが、被告人は、本件犯行当時、是非善悪を判断する能力及びそれに従って行動する能力を欠いていたものであり、仮にそうでなくても、右の能力が著しく減退していた(なお、弁護人は、責任能力についての主張につき、原判決は被告人の責任能力について事実を誤認し、その結果法令の適用を誤ったものであると釈明している。)。」というものである。

そこで、原審記録を調査して検討するに、原審で取り調べた証拠によれば、原判決の事実認定は、その理由中の「事実認定の補足説明」及び「弁護人の主張に対する判断」の項で認定説示するところを含め、当裁判所もこれを正当として是認することができ、当審における事実取調べの結果を併せて検討してみても、右認定を左右するものではないから、原判決には所論指摘の事実誤認があるとは認められない。以下、所論にかんがみ、付言する。

一  本件犯行に至る経緯及び本件各犯行の客観的状況について

まず、論旨の判断に先立ち、被告人の身上・経歴、本件犯行に至る経緯、本件各犯行のうちの主として客観的な状況、本件各犯行前後の被告人の行動等について検討するに、原審における関係各証拠によれば、次の事実が認められる。

1  被告人は、一九三一年(昭和六年)四月七日、養豚、養鶏業を含む父Hと被告人が名を覚えていない母親との間に六人兄弟の二番目、長男として、現在の大阪府柏原市において出生し、幼少時から乱暴しては、父親から暴力的な制裁を受け、六歳のころ一時韓国の叔父の元に預けられ、帰国後、国民学校に入学したが、学業を嫌って一年で中退し、その後、父の仕事を手伝ったりしたものの、父親とうまくいかず、家出を繰り返したりして、次第に非行に走るようになった。このため、被告人は、学校教育をほとんど受けず、家庭においても知的教育の機会を与えられないまま成長したため、本件犯行の当時、自分の氏名以外はほとんど読み書きできない状態にあった(なお、控訴審において、勾留中に文字の読み書きを勉強し、被告人が当審において提出した上申書をみると、漢字を含む文字の読み書きにつきかなりの進歩を遂げていることが認められる。)。

被告人は、昭和二四年六月に窃盗罪により執行猶予付の懲役刑に処せられたことを始めとして、昭和二四年ころから同六二年ころまでの間、窃盗、殺人(刑務所内で、受刑者と口論となり、天秤棒で相手の頭部を強打して脳挫傷により死亡させたもの)、傷害、恐喝等の犯罪を繰り返し、一五回の懲役刑と五回の罰金刑に処せられ、服役期間は通算二〇年を超え、服役していない期間もほとんど正業に就かず、いわゆるサイ本引きなどの賭博によって生活の糧を得ていた。

その間、父親が死亡した後、被告人は、一時養豚、養鶏業を継承したが、使用人をうまく使うことができず、事業を手放し、そのとき手に入れた約二四〇万円は短期間のうちに博打で費消した。

昭和六〇年一一月、最終の服役を終えて出所した後も同様であり、単身で大阪市内のアパート甲野荘に居住し、賭博を主な生活の手段としていた。

2  A子は、昭和六二年一月当時七九歳(明治四〇年九月九日生)で、広島県福山市大門町の丙川アパートで一人暮らしをしていたが、外見上は年齢よりもかなり若く見られがちであり、近所に住む同人の次女C子が時々家事の面倒をみる位で、独居生活に支障はなく、生計の面は、老齢年金と亡夫の遺族年金の支給を受け、これまでの貯金もあったことから、生活には余裕があり、芝居見物を楽しみにして福山市内の第一劇場に足しげく通っていた。

A子は、昭和六二年一月一五日ころ(原判決は、昭和六一年一月としているが(原判決四丁表一行目)、昭和六二年一月の明白な誤記と認められる。)、知り合いとともに大阪に泊まりがけで芝居見物に出かけた際、被告人と出会い、そのとき、A子の所持金が盗まれるという事件があったところ、被告人が、A子を大阪から福山まで送り届けてやるなど世話をしたことを契機として交際が始まって情交関係を持つに至り、被告人とA子は、同年二月中旬ころ、右丙川アパートで同居生活を開始した。

ところが、A子の長女B子やC子は右の同居生活に反対し、話合いが持たれ、B子とC子は、被告人と別れないのなら親子の縁を切るとまで言ったが、A子は、被告人に面倒を見てもらうと言ってきかず、結局被告人とA子は同居生活を続け、同年六月には福山市大門町《番地略》のアパート(以下、大門町アパートという。)に転居した。

3  被告人は、A子との同居生活において、掃除、洗濯、買物及び食事の支度などの家事やA子の身の回りの世話などをして暮らし、当初は男女の関係があったが、間もなく、A子の実際の年齢が分かってからはA子に母性を感じて、身の回りの世話をしていた。

A子は、被告人に対し、B子夫婦の経営するお食事処「乙山」(以下、乙山という。)の開店資金や経営資金を用立ててやったのに返そうとしないことや亡夫Fの墓を造るにあたって自分が建造資金を多く出したのに、無断で墓にG建立と刻まれたことなどB子夫婦に対する不満を日常的に言っており、また、C子に対する不満も口にしていた。

なお、A子は、同年七月下旬、被告人に無断で家を出て、熊本県山鹿市の親戚の元に身を寄せたが、一〇日ほどして福山に戻り、被告人に見つかって連れ戻されるという出来事があった。

昭和六三年一月ころから被告人は頻繁にパチンコ店に出入りするようになり、また、A子から見て得体の知れない男をアパートに泊めたりしたため、A子は、被告人と別れたいという気持ちを強めていったが、正面から別れ話を持ち出しても到底聞き入れてもらえそうにないことから、別れる方法を思案し、C子に対して、別れたいと訴えて助力を求め、別れるための方策を相談するようになった。

4  A子は、同年五月ころ、亡夫Fの実兄Nが墓参に訪れて大門町アパートに滞在するという架空の事柄を告げて被告人を一時大阪に帰らせ、その不在中に転居して姿を隠すという方法を思いつき、C子と協議して、同年六月四日を転居の日と定めて実行に移すこととし、右のN滞在の趣旨を被告人に話して六月四日から二、三日留守にしてほしいと頼んだところ、被告人はA子の言葉を信じてその間大阪に行くことを承諾した。

他方、C子は、六月から入居予定の借家を借り、引越し業者を手配するなどの準備をし、「D子」という架空の人物がA子を連れて行ったように偽装しておくこととし、横浜市在住の知人に頼んで差出人D子名義の封書(C子が書いて右知人に送っておいたもの)を大門町アパート宛てに投函してもらった。

六月四日朝、A子は、被告人に大阪行きの旅費や小遣いとして二〇万円を渡して送り出した上、同日夕刻までに、大門町アパートの家財道具一切を運び出し、同アパート内に、D子名義で、自分と夫、友人らがA子を横浜に連れて行って世話をするという趣旨の置き手紙を残し、右転居先に引っ越した。なお、その際、被告人の外国人登録証明書や印鑑、衣類等は、大阪に住む被告人の義兄に宛てて宅配便で送ることとした。

5  被告人は、六月四日夜から翌五日朝にかけて何回か大阪から大門町アパートに電話したが不通であったため、不審に思い、同日朝急ぎ大阪を発って大門町アパートに戻ったところ、室内が全く空になっており、前記の置き手紙を隣人らに読んでもらって、Nの滞在の件が作り事であり、D子らがA子を連れ出したと思い込むに至った。

そこで、同日、被告人は、大門町の派出所に赴いて家財道具の盗難を訴え、A子とD子なる人物の所在を探すべく、C子方やB子方に何度か赴いたが、C子、B子いずれも、A子とは縁を切っていて関係ないとして相手にせず、押し問答の末、両名方ともに、通報によってパトカーが駆けつける騒ぎとなった。

さらに、被告人は、翌六日にも、A子と取引のあった大門郵便局や福山市農協大門出張所に行って、A子から住所変更の届けが出ていないかを尋ね、また、福山市役所に赴いて、A子から住所の変更届等が出されていないか尋ねたり、係員に横浜市のD子の住所を調査させるなど捜索活動をしたが、手掛りは全く得られず、A子らの所在を発見するに至らなかった。

6  被告人は、同月七日ころ、福山市内の金物店において、刃体の長さ約二四センチメートル、刃体の幅最大で約五・五センチメートルの鋭利な出刃包丁を代金一万四〇〇〇円で購入し、さらに、JR福山駅付近で知り合った男に謝礼を与え、福山市内のホテルで、A子と知り合ってからの経過や現在の心境、犯行の決意などを口授して書き取らせ、メモ紙六枚に及ぶ文書を作成させた。

さらに、被告人は、B子夫婦やC子の拒否的態度から、被告人自身が面会を求めても対面は不可能と考え、第三者を使って同人らを呼び出すため、その役をつとめてくれそうな者を探すうち、同月九日、JR福山駅周辺で浮浪者生活をしていたQと、翌一〇日、同じく浮浪者生活をしていたRと出会い、以後一二日の本件犯行のときまで両名に酒や食事をおごって行動を共にし、その際、同人らに、これまでの経緯を説明して、B子夫婦やC子を呼び出すだけでよいからと言って助力を頼み、その見返りとして同人らにそれぞれ五〇万円を与える旨の約束をし、Q及びRは、呼び出し役として助力することを承諾した。

そして、被告人は、一〇日に宿泊した福山市内のホテルや一一日に宿泊した福山市内のサウナバスにおいて、Q及びRとともに、B子方やC子方において同人らを呼び出すための口実を相談し、Q及びRにその口上を練習させ、右サウナバスにおいては、翌日に実行する予定のかねてからの計画の最終的な打合せを行い、タクシーでまずC子方に赴き、QがD子の夫を装ってC子を呼び出した上、被告人が計画を実行し、その間RはB子方にすぐ移動できるようにタクシーを確保しておくこと、B子方では、QとRが乙山の弁当を注文しに来た客を装い、B子夫婦に玄関を開けさせたうえ、被告人が店内に入り、B子及びGに対して計画を実行することなどが話し合われた(なお、計画の内容については争点になっているので、後に詳述する。)。

7  被告人、Q及びRは、一二日午前六時三〇分ころ、右サウナバスを出て付近のうどん屋で朝食をとり、午前七時前ころJR福山駅に向かい、被告人が駅構内のコインロッカーから前記出刃包丁を入れた買い物袋を取り出し、午前七時一〇分ころ、被告人ら三名は、あらかじめ呼んでおいたタクシーに乗車し、被告人がタクシー運転手Sに対し、まず大門町方面に、次いで瀬戸町方面に行くように命じた。そして、タクシーが大門町方面に向かって走行し、JR大門駅西一番ガード南側付近にさしかかったところで、被告人は、タクシーを停車させ、Rに対しその場でタクシーの向きを変えて待たせておくように命じ、前記出刃包丁が入った買い物袋を携えて、Qと共にタクシーを降車した。

8  Cに対する犯行(原判示第一の犯行)の客観的状況

被告人とQは、その場所から徒歩でC子方に向かい、被告人は、午前七時二五分ころ、C子方から約五五メートル離れたところでC子方の門扉が開くのを待ち、Qは、C子方に行き、インターホンで、「横浜のDですけど、お母さんから預かった大事な物を持ってきました。」と打合せどおりの口上を述べたが、C子は、不審に感じ、「警察に行って下さい。」と言って、門扉を開けなかった。

そこで、被告人は、Qと共に前記タクシーが停車している所に戻り、B子方に向かうことにし、Sに瀬戸町方面に向かうように命じた。

9  B子、G及びE子に対する各犯行(原判示第二の犯行)の状況(E子に対する殺意の有無は除く。)。

被告人は、B子方の近辺でタクシーを停車させ、被告人ら三名はその場所から徒歩でB子方に向かい、午前八時三〇分ころ、QとRが乙山の弁当を注文しに来た客を装ってGに玄関ガラス戸を開けさせ、店内において架空の注文をしているうちに、被告人が、前記出刃包丁が入った買い物袋を携えて店内に入った。

被告人は、Gに対し、「お母さんから連絡はないか。」などと普通に話したり、Qらに店の外に出るように目顔で合図したりして、Qらが店外に出た後、店内のバーにおいて、B子、G夫婦のA子に対する対応を激しく罵った上、Gに被告人の弟の氏名、経営する会社などを紙片に書かせたりし、バーにE子が入ってきたので(被告人は、そのとき、E子を弁当を注文しに来た客と認識していた。)、被告人は、先に用件を済ますように言ったが、Gが被告人の方が先だという趣旨の発言をした。

そこで、被告人は、その場において、右買い物袋から前記出刃包丁を取り出し、殺意をもって、いきなりGの右頚部付近を一突きし、さらに、悲鳴を上げて逃げようとする同人の胸部や右横腹を突き刺した。Gは、負傷を受けながら、厨房から洗面所、風呂場の方へ逃げ、風呂場の窓から下の農道に至って、その場で倒れた。

被告人は、Gに対する右犯行に及んだ直後、その場に遭遇したGの母E子がしがみついて制止しようとしてきたので、「邪魔するな。」と叫んで同女を二、三回手で突き飛ばしたが、なおもしつこく食い下がってくるので、腹のあたりを力を入れずに前記出刃包丁で突いたが、それでも食い下がってきて、出刃包丁を取り上げようとしてきたので、出刃包丁で多数回にわたり同女の胸部や腹部等を突き刺したり、切り付けたりした。

さらに、その後、被告人は、乙山二階から階段を降りてきたB子に対し、階段途中において、殺意をもって、右出刃包丁を正面下方から突き上げるようにして同女の頚部を突き刺した。

以上の結果、Gに右内頚静脈切断、上大静脈・右肺静脈・右腎臓・肝臓右葉の各損傷等の、B子に左右総頚動脈・左内頚静脈・気管・右鎖骨下動脈の各切断、右肺上葉損傷等の各傷害を負わせ、まもなくGを乙山北側農道上において、B子を同店内階段付近において、それぞれ死亡させ、E子は、左上腕動静脈切断、左肺貫通、胃・膵臓・腸間膜・小腸・結腸の各損傷等の傷害を受け、まもなく、同店内階段下付近で右各傷害により死亡した。

10  被告人は、その後、Q及びRが先に乗り込んで待っていた前記S運転のタクシーに乗り込み、タクシーで逃走したが、その走行中の車内において、Q及びRに血の付いた出刃包丁を見せたりした。

その後、被告人は、タクシーに停車を命じ、付近の公衆電話からQに警察に電話をかけさせ、被告人が電話を代わり、警察官に対し、犯行の責任は取ると告げ、D子やC子を警察に呼んで会わせてくれるなら、警察に出頭するなどと述べ、タクシー運転手Sに電話を代わり、被告人らが現在居る場所を告げさせた。そして、その場所に急行した警察官によって福山西警察署に任意同行され、その後逮捕された。

二  論旨(一)(殺人予備罪の成否)について

1  被告人のC子に対する殺意について

(一) 被告人が携帯していた出刃包丁(当審平成三年押第一六号の1)は、前記のとおり、刃体の長さ約二四センチメートル、刃体の幅最大で約五・五センチメートルの鋭利なものであるところ、T子の警察官調書(原審検一四号証)によれば、被告人は、右出刃包丁を購入した際、何度も絶対に折れない包丁をくれと念押ししていること、Q及びRの検察官及び警察官に対する各供述調書によれば、被告人は、本件犯行まで行動を共にしていたQ及びRに対して、何度も、B子夫婦だけでなくC子に対しても、決着を付ける、とどめをさすという話をしていたことが認められる。

さらに、前記のとおり、被告人は、JR福山駅付近で知り合った男に謝礼を与え、A子と知り合ってからの経過や現在の心境、犯行の決意などを口授して書き取らせた文書を作成させており(当審平成三年押第一六号の9)、右文書はそのときの被告人の心情が自然に描かれていると認められるところ、その中で、A子の娘にもさんざん皮肉を言われ、殺す気になったと明確に述べていることが認められ、さらに、被告人は、検察官及び警察官に対する各供述調書において、C子に対して殺意があったことを明確に述べており、A子が、置き手紙を残して転居し、その所在がわからなくなり、外国人登録証明書等自己が所有する物も全くなくなっており、A子の所在を探すために各方面を尋ね歩いたが、その所在はわからず、娘でありながらA子の面倒をみず、被告人との面談をひたすら拒んで追い返そうとするB子夫婦やC子らに憎悪を募らせ、殺す気になったという被告人の供述内容は、前記の経緯からすれば、極めて短絡的ではあるが、殺意を持つに至った理由として了解は可能で、不自然ではない(なお、動機の了解可能性については、後記の責任能力についての判断の部分において詳述する。)。

(二) もっとも、原審第一二回公判における被告人質問中には、「C子を殺す気はなく、本当に殺す気なら裏口から入ってでも殺せた。」とC子に対する殺意を否定する部分が存するが、右供述の直前の部分では、「C子も親を放り出そうとしており、どうせならC子もやってしまおう。」などと述べ、さらに、右被告人質問における他の部分では、「C子はよう家に来て、お母さんを突き飛ばしたり、さんざん困らせていたから、ついでにやってやろう。」などと述べている上、前記の客観的な状況や被告人が捜査段階でC子に対する殺意を認めていることに照らして、右のC子に対する殺意を否定する部分は信用することはできない。

また、被告人は、当審における被告人質問において、C子を殺すつもりはなく、A子の行き先を聞きにQをC子方に行かせたものであると供述しているが、右の供述は、信用性の認められるQ及びRの各検察官及び警察官調書における供述に反している上、捜査段階でなぜC子に対する殺意を認めたかについての合理的な理由の説明もなく、出刃包丁を準備して行くなどの前記(一)の客観的な状況からみても不自然であって、信用することはできない。

(三) 所論は、被告人がC子に対して確定的に殺意を抱いていない根拠として、被告人が、QやRに対して明確に殺意のあることを述べていないと主張するが、前記のとおり、被告人は、Q及びRに対し、何度も、B子だけでなくC子に対しても、決着を付ける、とどめをさすという話をしているのであって、Q及びRに殺意があるという表現をしていないからといって、被告人がC子に対して確定的に殺意を有していなかったということにはならない。

また、所論は、被告人がC子に対して確定的に殺意を有していたなら、玄関の門扉が閉ざされたままでも、裏口を探すとかして何とかC子方に侵入しようと試みるはずであると主張する。しかしながら、被告人の捜査段階及び原審公判廷における供述によれば、被告人にとって、C子よりもB子夫婦に対する犯行が最大の目的であったと認められるところ、C子方に赴いた時点では、最大の目的であったB子夫婦に対する犯行が控えていたのであるから、あえてC子方への侵入を試みることなく、B子方に向かったとしても、被告人がC子に対して確定的に殺意を抱いていなかったということにはならない。

(四) 以上の点に照らすと、被告人は、A子の所在がわからなくなり、その所在を探すために各方面を尋ね歩いたが、結局その所在はわからず、娘でありながらA子の面倒をみず、被告人との面談をひたすら拒んで追い返そうとするC子に憎悪を募らせ、殺意を有するに至ったと認められ、C子に対して確定的に殺意を抱いていたと認めることができる。所論は採用できない。

2  殺人予備罪にいう危険性がない旨の主張について

所論は、被告人は、Qに、C子が門扉を開ける可能性の全くない口上を言わせているに過ぎず、その危険性の程度は低いから、殺人予備罪に該当しない旨主張する。

しかしながら、本件では、C子が、「横浜のDですけど、お母さんから預かった大事な物を持ってきました。」というQの口上を不審に思って門扉を開けなかったものの、被告人は、D子がA子を騙して連れ出したことから、右口上によって、C子は門扉を開けるものと考えていたし、C子の検察官調書(原審検七六号証)によれば、C子も、一瞬、手紙を頼んだD子の主人が来たと思い、お礼をいわなければと考えて、門扉を開けようと考えたものであり(A子の大事な物を持ってきたという部分から、不審に感じ、門扉を開けなかった。)、客観的にみても、Qの右口上からC子が門扉を開ける可能性がないということはいえない。そして、被告人は、Qの口上によりC子が門扉を開けるものと考え、前記の出刃包丁が入った買い物袋を持ち、C子が門扉を開けたら右出刃包丁を使用してC子を殺害しようと考え、約五五メートル離れた地点からC子方の門付近を見ながら待機していたものであり、被告人の右行為が、その危険性という点からみて、殺人予備罪に該当することは明らかである。所論は採用することはできない。

3  以上によれば、原判示第一のとおり、C子に対する殺人予備罪は成立するから、論旨(一)は理由がない。

三  論旨(二)(B子及びGに対する確定的殺意発生の時期)について

1  原判決は、被告人は、昭和六三年六月七日、被告人が前記出刃包丁を購入する段階までに、B子及びGに対して殺意を抱いていたと認定しており、これに対して、所論は、被告人が、B子及びGに殺意を抱いたのは、本件犯行直前で、Gの態度に激昂して殺意を生じたものであると主張するので、以下、検討する。

(一) 前記のとおり、被告人が携帯していた出刃包丁は、刃体の長さ約二四センチメートル、刃体の幅最大で約五・五センチメートルの鋭利なものであるところ、被告人は、昭和六三年六月七日に金物店で右出刃包丁を購入した際、何度も絶対に折れない包丁をくれと念押ししていること、被告人は、本件犯行まで行動を共にしていたQ及びRに対しても、何度も、B子に対して、決着を付ける、とどめをさすという話をしており、被告人は、本件犯行を手伝うことにより、Q及びRにそれぞれ五〇万円ずつの報酬を与える約束をしており、また、本件犯行に至るまで二、三日間飲食代や宿泊代等をおごっていることが認められる。

さらに、前記のとおり、被告人は、六月七日夜ころ、男に謝礼を与え、犯行の決意などを書き取らせた文書において、A子の娘や娘の主人にもさんざん皮肉を言われ、殺す気になったと明確に述べており、また、被告人は、検察官及び警察官に対する各供述調書において、A子が、置き手紙を残して転居し、その所在がわからなくなり、外国人登録証明書等自己が所有する物も全くなくなっており、A子の所在を探すために各方面を尋ね歩いたが、その所在はわからず、娘でありながらA子の面倒をみず、被告人との面談をひたすら拒んで追い返そうとするB子、G夫婦に憎悪を募らせ、殺す気になったとB子及びGに対して殺意を生ずるに至った理由を明確に述べており、その供述内容は、前記の犯行に至る経緯からすれば、前記二で述べたC子に対する殺意と同様、極めて短絡的ではあるが、殺意を持つに至った理由として了解は可能で、不自然ではない。

(二) 被告人は、当審における被告人質問において、GやB子に対して殺すつもりは犯行直前までなかったものであり、出刃包丁を携帯したのは、GやB子を脅すためであると供述しているが、右の供述は、右(一)の諸事情に照らして不自然であり、前記のとおり、捜査投階において、六月七日ころB子やGに対して殺意が生じたことを述べているところ、殺すつもりが犯行直前までなかったなら、なぜそのように捜査段階で述べたかについて合理的な理由の説明もないことなどに照らして、前記当審における被告人質問の供述は、信用することはできない。

(三) 所論は、犯行直前まで確定的殺意がなかった根拠として、先に乙山に行かせたQやRから、乙山の営業時間が午前一一時からと言われたと聞き、一旦はタクシーで福山の方へ引き返そうとしていることを挙げている。

しかしながら、被告人は、昭和六三年六月二四日付け(原審検一七三号証)及び同月三〇日付け(原審検一七六号証)各警察官調書において、一旦引き返して計画を練り直すためと右の行動を説明しており、また、関係証拠によれば、その後、同行していたQ及びRから当日決行を促されて、直ちにタクシーを乙山の方向に戻させて、本件の犯行に及んでいることに照らすと、被告人の右の行動は、あらかじめ被告人がB子及びGに対し確定的殺意を抱いていたことと何ら矛盾するものではない。

また、所論は、犯行直前まで確定的殺意がなかった根拠として、被告人は、当日Gと応対したときに、まず、A子の行方について丁寧な言葉で聞いていることを挙げている。

しかしながら、被告人は、捜査段階及び原審公判廷において、当日最初にGと応対して直ちに犯行に及ばなかった理由として、Q及びRが乙山店内にいたからであると述べており、右の供述内容は、前記のとおり、被告人はQやRに外に出るように目顔で合図を送っていること、QやRがB子らと全く関係がなく、扉を開けさせるだけでよいと言って頼んだ経緯などから、Qらに責任が及ぶことを少しでも避けようとする行動として自然なものであることなどに照らしても、信用することができる。したがって、被告人が、当初Gと丁寧に応対しているからといって、それは被告人がB子及びGにあらかじめ確定的に殺意を抱いていたことと矛盾するものではない。

2  以上の点に照らすと、被告人は、A子の所在がわからなくなり、その所在を探すために各方面を尋ね歩いたが、その所在はわからず、娘でありながらA子の面倒をみず、被告人との面談をひたすら拒んで追い返そうとするB子及びGに憎悪を募らせ、殺意を有するに至ったものであると認められ、昭和六三年六月七日に前記出刃包丁を購入した時点においては、すでにB子及びGに対して確定的に殺意を抱いていたと認めることができ、原判決にはB子及びGに対して殺意を抱いた時期についての事実の誤認はなく、論旨(二)は理由がない。

四  論旨(三)(E子に対する殺意)について

1  原審関係証拠によると、被告人は、B子やGとは異なり、E子に対しては、犯行の直前まで殺害の対象としていなかったことは明らかであり、E子に対する犯行の時点で殺意があったかどうかが争点となるので、以下、この点について判断する。

(一) 前記のとおり、凶器の出刃包丁は、大型で非常に鋭利なもので、被告人はそのことを十分認識しており、これによってE子の身体に与えた傷害の部位及び程度をみると、宮崎哲次作成の鑑定書(原審検二五号証)によれば、顔面、両肩、左腋窩部、胸部、上腹部、両上肢に合計一七か所に及ぶ刺切創があり、その内、左腋窩部の刺切創は、左上腕動静脈を切断して左肺を貫通しており、上腹部の二か所の刺創は、胃・膵臓・腸間膜・小腸・結腸等を損傷し、これらの刺切創が致命傷になってE子をその場で失血死させたものであると認められ、これによれば、被告人は、E子に対して、その身体の枢要部に向けて強烈で執拗な攻撃を加えたことが明らかである。

さらに、Q及びRの捜査段階の各供述調書によれば、被告人は、乙山における犯行の後、Q及びRが乗車して待っていたタクシーに乗り込み、走行している途中、Q及びRに血の付いた出刃包丁を見せ、「娘夫婦と止めに入ったばあさんをやった。三人とも死んでいるだろう。」と言っていることが認められ、さらに、捜査状況報告書二通(原審検一、三号証)によれば、被告人は、本件犯行後、警察に電話をかけたことにより、被告人らの居場所にかけつけてきた警察官に対し、「わしが三人を殺した。」旨述べていることが認められ、これらの事実から、被告人は、本件犯行後に、E子が死んでいることを予測していたことが認められる。

(二) 被告人は、捜査投階において、「E子の腹を包丁で一突きしても、E子は、わめいて食い下がってきて、包丁まで取り上げようとするので、わずらわしくなり、一人殺すも二人殺すも同じという気になり、三回くらい左胸辺りをみさかいなく持っていた出刃包丁で突き刺した。」(原審検一七三号証及び同検一七六号証の各警察官調書)、「E子は当初の計画では殺す相手には入っていなかったが、しつこくからんで来るので、うるさいやつや、こいつも殺してしまえと思って、牛刀で切り付けてしまったのです。」(原審検一八〇号証の検察官調書)などとE子に対しても殺意を認める供述をしており、前記の犯行に至る経緯及びE子に対する犯行の段階において最大の目的であるB子に対する殺害が控えていたことなどに照らすと、とっさに殺意が生じた旨の供述内容は不自然なものではなく、前記(一)の客観的状況とも合致し、十分信用することができる。

これに対して、所論は、Gは被告人に刺された後、風呂場から逃げており、即死したわけではないから、右の「一人殺すも二人殺すも同じ」という供述は不自然であり、三名の死という重大な結果の前で、長時間の取調べにおいて投げやりになって捜査官に迎合したものであると考えざるをえないと主張する。

しかしながら、被告人は、Gがその場から逃げて、その死を見届けていないものの、前記のとおり、身体の枢要部を鋭利な出刃包丁で突き刺しており、その場から逃げたとはいえ、間もなく死亡するに至るような重傷を与えているのであるから、いずれ死に至るものというような認識のもと、「一人殺すも二人殺すも同じ」というような考えが生じたとしても、何ら不自然なことではない。さらに、前記のとおり、原審検一七三号証及び同一七六号証の二通の警察官調書において、「一人殺すも二人殺すも同じ」という表現があり、また、原審検一八〇号証の検察官調書においても殺意について供述していること、前記のとおり、とっさに殺意が生じた旨の供述内容が不自然なものではないこと、三名の死という重大な結果の前で、長時間の取調べにおいて投げやりになって捜査官に迎合したというような形跡は、証拠上全く窺えないことなどに照らすと、前記「一人殺すも二人殺すも同じ」という旨の供述が、所論のいうように長時間の取調べにおいて投げやりになって捜査官に迎合したものであるとは認められない。

(三) これに対して、被告人は、原審及び当審公判廷において、E子に対しては殺すつもりはなかった旨供述するが、前記(一)の客観的な事情や被告人が捜査段階で殺意を認めており、その殺意を認める供述内容も自然なものであることに照らすと、右公判廷における供述は信用することはできない。

(四) 以上によれば、前記のとおり、非常に鋭利な凶器の形状、被告人に凶器についての認識があること、E子の損傷の部位及び程度から、被告人はE子に対してその身体の枢要部に向けて強烈で執拗な攻撃を加えたと認められること、被告人は、犯行後、タクシーの車内でQ及びRに対し、E子が死亡していることを予測する発言をし、また、電話をかけた場所に急行してきた警察官に対しても同様の発言をしていること、被告人の捜査段階におけるE子に対する殺意を認める旨の供述内容が不自然なものではなく、前記客観的状況とも合致して、信用性が認められることなどの点を総合すると、被告人は、Gに危害を加えた後、E子が飛びかかってきたので、手で突き飛ばしたり、刃物で軽く突いたりするなどしたが、それでもE子がわめいて被告人に食い下がって包丁まで取り上げようとするので、わずらわしくなり、とっさにE子に対して殺意が生じ、犯行に至ったものであると認められる。

(五) 所論は、被告人は、E子に会ったことがない上、そもそもE子を弁当を注文しに来た客であると思っていたものであるから、被告人はE子に殺意を抱く動機がなく、また、E子が飛びかかってきたので、手で突き飛ばしたり、刃物で軽く突いたりするなど、死の結果を避けるような行動を無意識のうちにしているものであるから、被告人はE子に対して殺意がなかったものであると主張する。

確かに、被告人が、E子を弁当を注文しに来た客であると思っていたことやE子が飛びかかってきたので、まず、手で突き飛ばしたり、刃物で軽く突いたりするなどの行動をしていることは、所論の指摘するとおりであるが、前述したとおり、被告人は、E子に対しては、B子及びGの場合と異なり、犯行の直前まで殺意を有していなかったことは明らかであり、手で突き飛ばしたり、刃物で軽く突いたりしても、それでもE子はわめいて被告人に食い下がって包丁まで取り上げようとするので、とっさに殺意が生じたものと認められるのであって、E子に対して殺意を有していたことと所論指摘の前記事情とは何ら矛盾するものではない。所論は採用の限りでない。

2  以上のとおり、被告人は、E子に対して犯行の直前にとっさに殺意が生じ、犯行に至ったものと認められるから、E子に対して殺意を認めた原判決には事実の誤認はなく、論旨(三)は理由がない。

五  論旨(四)(責任能力)について

1  被告人の責任能力について、原審において、鑑定人庄盛敦子による鑑定(以下、同人の鑑定及び原審証言を庄盛鑑定という。)及び鑑定人浅尾博一による鑑定(以下、同人の鑑定及び原審証言を浅尾鑑定という。)の二回にわたる精神鑑定が行われており、原判決は、右二回の鑑定から、被告人の知能障害は軽度(軽愚)に属し、被告人には性格異常があるが、それは責任能力を著しく減退させる程度のものではないと認め、本件犯行の動機、犯行態様及び犯行前後の被告人の行動等を総合し、被告人に完全責任能力を認めている。

これに対し、所論は、原判決は庄盛、浅尾両鑑定に対する評価及び本件犯行の動機、犯行態様及び犯行前後の被告人の行動等についての評価を誤っており、結論として、被告人は、本件犯行当時、是非善悪を判断する能力及びそれに従って行動する能力を欠いていたものであり、仮にそうでなくても、右の能力が著しく減退していたものであると主張している。

そこで、当裁判所は、被告人の責任能力について、さらに、鑑定人保崎秀夫による鑑定(以下、同人の鑑定及び当審証言を保崎鑑定という。)及び鑑定人斎藤正彦による鑑定(以下、同人の鑑定及び当審証言を斎藤鑑定という。)の二回にわたる精神鑑定を実施した。

以下、庄盛、浅尾両鑑定に保崎、斎藤両鑑定とを加え、本件犯行の動機、犯行態様及び犯行前後の被告人の行動等をも総合して、被告人の責任能力について検討することとする。

2  まず、各鑑定の経過の要点及び鑑定の結論については、次のとおりである。

(一) 庄盛鑑定について

(1) 脳のコンピューター断層撮影(CT)において、脳出血、萎縮、梗塞などの異常所見はなく、脳波検査においても、脳の器質性ないし機能性異常を反映するような所見はない。

(2) 面接所見から、幻覚、妄想のような精神病的症状は認められない。

(3) 知能程度については、被告人は文字の読み書きの能力がほとんどなかったため、言語によらないでも検査できるコース立方体組合せテスト及びベンダーゲシュタルトテストによって測定したが、前者の結果は精神年齢が七歳という結果を示し、後者では、図形描写に歪みや位置の異常が認められ、知能障害があることが示唆された。また、面接の所見からも、知能障害が窺われた。

しかし、被告人は、長年経験した分野、すなわち、博打や犯罪の計画、実行においては常人以上の能力があるのかもしれず、総合的にみて、精神年齢は、七歳よりも高く、一〇歳よりは低い(具体的には、八、九歳程度)と考えられ、いわゆる三分類法で中等度の知能障害があると認められる。

(4) 性格面については、矢田部・ギルフォード性格テストを実施したが、その結果は、攻撃性、衝動性、支配性が強く、他方、内省的な面が欠如しており、爆発性の異常性格と認められる。

(5) 結論として、被告人の犯行時の精神状態は、爆発性の異常性格及び中等度の知能障害の状態にあり、この知能障害のために、是非善悪を判断し、それに従って行動する能力を著しく減じている状態、すなわち、限定された責任能力しか有していない状態にあった。

(二) 浅尾鑑定について

(1) 脳波検査、CT検査等は被告人が受診済みとして断ったため実施していないが、神経学的検査では異常は認められなかった。

(2) 被告人には、幻覚、妄想といった病的体験は認められず、記憶力も十分保たれていて、狭義の精神病者ではない。

(3) ロールシャッハテストを実施したが、その結果、被告人には、知的能力の低さと人格的な柔軟性の薄さが認められた。

また、知能テストとして、鈴木・ビネー式個人テストを文章を読ませる部分を除いて実施したが、その結果を知能年齢に換算すると、八歳ないし八歳二か月になり、知能指数は、暦年齢一六歳を一〇〇として算定するので、五〇ないし五一くらいであり、軽愚(軽度の精神薄弱)に属する。

しかし、知能は、知能テストのみから判断されるべきではなく、生活能力や社会生活に対する適応性、自主性等を総合して判断すべきであり、被告人は、日雇いをしてアパートで独立した生活を営み、博打でも慣れるに従って大金を得るようになり、また、自分の身の回りの始末はでき、自立した社会生活を送ることもある程度可能であったことを総合すると、軽愚の内では高い程度(正常に近い部類)に属するということができる。

(4) 性格面では、爆発性性格と粘着性性格の持ち主であると認められる。

(5) 被告人は、八方手を尽くしてもA子の所在がつかめず、C子やB子夫婦に尋ねても、知らないという返答があるだけで、追い返されたが、そのうちにA子の失跡にC子やB子夫婦らが関与していると考え、同人らに殺意を抱くに至ったものであり、単純で無思慮な点はみられるものの、動機は了解可能である。

(6) 被告人は、犯行時において、責任能力を有していたと認められるが、E子に対する犯行については、その爆発性性格から、行為抑制能力が幾分欠けていたかもしれない。

(三) 保崎鑑定について

(1) 脳波検査、頭部CT検査とも異常所見は認められない。

(2) 精神病的な症状は認められない。

(3) 被告人の知能程度は、ウエクスラー修正知能検査(WAIS-R)によると、言語性知能指数五五、動作性知能指数四五以下、全検査知能指数四八であったが、知能程度の判断は、知能指数だけでなく、性格や日常行動などの全体から判断すべきであり、被告人の場合、右の知能指数に、日常生活、社会への適応性、犯行の経緯及び形態を総合すると、国際疾病分類でいう軽愚の程度の知能低下と考えられ、背景となる器質的障害は認められない。

(4) 被告人の性格傾向として、かっとしやすい傾向、短絡的な行動を起こしやすい傾向が認められるとともに、執拗さ、粘着傾向も認められるが、これらの性格傾向は、心理検査の結果に良く出ている。

(5) 被告人は、軽愚の程度の知能障害があり、性格的に未熟で、爆発性、執拗性を中心とするかなりの偏りを示すが、物事の善しあしを判断し、それに従って行動する能力は、特に後者において問題ではあるが、著しい程度にまでは至っていないということができる。

(6) しかし、本件の犯行において、被告人の知能が劣り、爆発的性格を有するという被告人のマイナス面が最も出やすい状況がA子ら周囲によって計画されており、このような犯行前の被告人に対し特別に計画された状況下においては、被告人の知能低下と性格障害を総合的に判断すると、被告人は、物事の善しあしを判断し、それに従って行動する能力は著しく障害されていたとみてよいのではないかと考えられる。

(四) 斎藤鑑定について

(1) 頭部CT検査及び脳波検査の結果によると、被告人には、脳の明確な器質的変化、すなわち、精神発達遅滞あるいは性格変化と関連した粗大な器質的変化は確認できない。被告人の意識は清明で、てんかんその他一過性の意識障害を来しうる疾患は認められない。

(2) 今回の面接検査結果やこれまでの生活歴等から、被告人には、幻覚、妄想等の病的体験は認められず、精神分裂病等の精神病に罹患している可能性は否定される。

(3) 被告人の知能程度は、ウエクスラー成人用知能検査改訂版(WAIS-R)によると、言語性知能指数五八、動作性知能指数五〇であったが、被告人の知能障害は、日常家庭生活を妨げる程度ではなく、社会生活行動においても一定の能力を持っている、すなわち、経験的に学ぶことができた事柄については、かなり抽象的な概念でも理解できているし、そうした考え方に従って自分を律することができることに照らすと、被告人の知的能力は、国際的に認められている診断基準によれば、軽度精神発達遅滞と診断される。

(4) 被告人には、衝動性、攻撃性あるいは執拗さなどの行動特徴が認められるが、保護的な環境下では十分に情動の安定を保つことができ、感情が高ぶっても、必要に応じて自制する能力を持っているから、これらの行動特徴は、軽度精神発達遅滞に付随する性格あるいはそのために自ずから学習して身についた行動特徴の範疇で考えることができる程度のものであり、あえて、性格異常、反社会的人格障害等の診断を加える必要を認めない。

(5) 被告人は、物事の是非善悪を弁別する基本的能力を備えているが、犯行の動機形成に関しては、知能のみならず性格傾向や心理的機序を含んだ精神機能の未発達が大きな影響を果たしていると考えられる。

3  精神鑑定の結果についての検討

(一) まず、浅尾鑑定以外の鑑定の際の脳波検査、頭部CT検査によると(前記のとおり、浅尾鑑定では被告人は検査を受けるのを拒否している。)、精神発達遅滞あるいは性格変化と関連するような脳の明確な器質的変化は確認できず、また、被告人の意識は清明で、てんかんその他一過性の意識障害を来しうる疾患は認められない。

また、いずれの鑑定からも、幻覚、妄想等の病的体験は認められず、精神分裂病等の精神病に罹患している可能性はないと認められる。

(二) 被告人の知能障害の程度については、いずれの鑑定も、知能障害の程度は日常家庭生活を妨げる程度には至っておらず、長年経験した分野、すなわち、博打や犯罪の計画、実行等においては一定の能力が認められることから、知能検査において得られた精神年齢より高いと判断し、その結果、庄盛鑑定はいわゆる三分類法で中等度の知能障害に、他の三鑑定はいずれも軽度の知能障害(軽度精神発達遅滞)であるとしている。

もっとも、庄盛鑑定は、中等度の知能障害であるとしながらも、被告人の精神年齢を、八、九歳程度と考えられるとしているから、これを一六歳の平均人を一〇〇とする一般的見解で知能指数に換算すれば、五〇ないし五六になり、現在の国際疾病分類では、知能指数五〇ないし六九までを軽度精神発達遅滞、三五ないし四九を中等度精神発達遅滞、二〇ないし三四を重度精神発達遅滞、それ以下を最重度精神発達遅滞に分類できること(もちろん絶対的な基準ではない。なお、以上の分類については保崎鑑定書参照)に照らすと、庄盛鑑定の被告人の精神年齢の結果からも、被告人の知能障害の程度を右の分類の軽度精神発達遅滞に属すると評価することは不合理ではないと考えられる。

以上に加えて、保崎鑑定及び斎藤鑑定によると、中等度の精神発達遅滞に至ると、大部分においてその原因となる脳の器質的障害を同定しうるとされているところ、被告人には精神発達遅滞の原因となるような脳の器質的障害は同定されていないこと、前記のとおり、被告人はA子との同居中家事やA子の身辺の世話を行うなど、知能障害の程度は日常家庭生活を妨げる程度には至っておらず、博打等長年経験した分野においては一定の能力が認められること、被告人の捜査段階並びに原審及び当審公判廷における各供述をみると、その論旨は明瞭であること、さらに、犯行に至る経緯、被告人の犯行前後の行動等を総合すると、被告人の知能障害の程度は、国際疾病分類にいう軽度精神発達遅滞に属すると認めるのが相当である。被告人の知能障害の程度を軽度(軽愚)に属すると認めた原判決には誤りはない。

所論は、原判決が、庄盛鑑定が被告人の知能障害が中等度であるという結論を排斥した根拠は薄弱であると主張する。しかし、確かに、知能指数と知能障害の程度の対応関係については絶対的基準があるわけではないが、精神年齢八、九歳という庄盛鑑定の判断を知能指数に換算し、現在の国際疾病分類を適用すると、被告人は軽度精神発達遅滞に属すると評価することも不合理とはいえないことは、前述したとおりであり、所論は採用することはできない。

所論は、浅尾鑑定は、心理テストにおいて、鈴木・ビネー式検査を実施したこと及びそのテストの一部のみ実施したことから、その検査の正確性に問題がある旨主張しているが、浅尾は、被告人が文盲であることを考慮し、鈴木・ビネー式検査の中から文章の読解を必要とする部分を除いてテストを実施しており、同人は、文盲者に対してそのような方法で右テストを実施することは妥当であると証言しているところであるから、知能程度を判断する上で一つの判断資料とはなりうるということができる。

(三) 次に、被告人の性格面についてみると、庄盛、浅尾及び保崎鑑定は、いずれも被告人に爆発性、執拗性などの性格異常がある旨判断しているのに対し、斎藤鑑定は、被告人には、衝動性、攻撃性あるいは執拗性などの行動特徴が認められるが、これらは、軽度精神発達遅滞に付随する性格の範疇で考えることができる程度のものであり、あえて、性格異常、反社会的人格障害等の診断を加える必要を認めないとする。

まず、庄盛鑑定は、被告人の爆発性性格が知能障害と結びついて本件犯行に及んだものであると認めているが、被告人の場合、その性格をもって責任能力を限定する事由とすることはできないとし、浅尾鑑定も、被告人の爆発的性格が本件犯行に大いに関与しており、行為抑制能力において幾分欠けていたかもしれないとしているが、その証言において、右はE子に対する犯行について述べたものであるとその趣旨を敷衍し、被告人の性格異常は責任能力に影響を与えるほど重大なものではないとしている。

なお、所論は、右の浅尾鑑定の判断について、E子に対する犯行とB子及びGに対する犯行という同一機会に行われた犯行につき、一方が爆発的性格の表れで抑制力を幾分欠き、他方はそうではないとするのは、矛盾があると主張するが、前記のとおり、ほぼ同じ時間帯の一連の流れの犯行とはいえ、当初から殺害目的を有していたB子及びGに対する犯行と当初は殺害目的がなく、犯行直前にとっさに殺意を抱いたE子に対する犯行とで、被告人の精神状態についての評価を異にしても、矛盾があるということはできず、所論は採用の限りでない。

また、保崎鑑定も、被告人は、一般的には(本件直前のような特別に計画された状況になければ)、精神的に未熟で爆発性、執拗性を中心とするかなりの偏りを示すが、物事の善しあしを判断し、それに従って行動する能力には、特に後者において問題はあるが、著しい程度には至らないとしている。

さらに、斎藤鑑定が述べるように、被告人は、実際の犯行に至るまでの過程において、しばしば追いつめられたり、侮辱されたりしているにもかかわらず、暴力的行為に及んでいないし、しばしば手前勝手な理屈で短絡的に怒り出すが、そうした状態になっても、自らの感情をそのまま行動に移すのではなく、一定の自制を働かせることができると考えられる。

以上からすれば、被告人の爆発的、執着的な性格を知能障害とは別に性格異常とみるか、あるいは、斎藤鑑定がいうように、知能障害に付随する性格で独立の診断を加えないかは別として、被告人の右性格は、責任能力に影響を与える程度には至っていないと認めることができる。

4  本件犯行、被告人の犯行前後の行動等からの検討

(一) まず、本件の犯行(E子の犯行を除く。)の動機についてみるに、前述のとおり、被告人は、A子に言われて大阪に行っている間に、A子が置き手紙を残して転居し、その所在がわからず、部屋は全く家財道具がない空の状態で、自己の外国人登録証明書等もなくなっており、置き手紙に出てきた「D子」らがA子を連れ出したと思い込み、A子の所在調査の手段として、C子方やB子方に何度か赴いたが、C子及びB子のいずれからも、A子とは緑を切っていて関係ないとして相手にされず、門前払いされ、A子と取引のあった郵便局や農協、さらに、福山市役所に赴いて、A子の所在やD子の住所を調査させるなど捜索活動をしたが、その所在は全くつかめなかったことから、A子を探し出すことは困難と感じ、A子を隠したD子夫婦、自分を相手にしないC子やB子夫婦に激しい憎悪を持ち、殺害を決意するに至ったものである。

なお、被告人の捜査段階の供述調書には、C子やB子が、A子の行方がわからなくなったことに関与していると思った旨の供述があるが、被告人の心情が最も自然に描かれていると認められる前述のメモには、右のような記載はないことから、殺意発生の動機として、A子の行方不明にC子やB子らが関与しているとまで考えたとは認めることはできない。

そこで、右のC子やB子夫婦に対して殺意を抱くに至った動機をさらに検討するに、A子の所在調査に全力を尽くすもその所在がつかめない絶望感、そして、C子やB子らA子の娘から冷たくあしらわれ、それに対抗できない悔しさ、さらに、前記メモによると、A子を隠したと考えたD子にまず殺意を抱き、その所在がつかめないことからまずC子やB子夫婦を殺害しようと考えたと認められることを考慮すると、被告人の知能障害や爆発的性格の影響による精神的な未熟さや短絡的な思考が窺われるものの、C子やB子夫婦に対して殺意を抱くに至った動機は了解不可能なものではない。

また、被告人は、E子に対しては、前述のとおり、Gに危害を加えた後、E子が飛びかかってきたので、手で突き飛ばしたり、刃物で軽く突いたりするなどしたが、それでもE子がわめいて被告人に食い下がって包丁まで取り上げようとするので、わずらわしくなり、とっさに殺意が生じたもので、その性急さ、安易さは指摘できるとしても、殺意を抱いた動機として了解は可能である。

これに対して、弁護人は、B子らに殺意を抱くに至った動機としては、了解不可能であると主張し、庄盛、保崎及び斎藤鑑定もそのような判断をしている旨主張する。

しかしながら、庄盛鑑定は、「犯行の動機は、被告人の生育歴、性格、犯罪歴、知能の程度及びA子を失ったことによる絶望感を総合してみると、了解不能ではない。」とし(同鑑定書二八頁)、保崎は、「動機は一応了解可能な範囲内と取っております。」と証言しており(当審第一一回保崎証言)、また、斎藤は、「動機の形成については、被告人の知的能力の低さとか心理的な未発達とかいうふうなものが影響している可能性はあるし、その動機は必ずしも合理的とはいえない。」(当審第一五回斎藤証言)と証言しているにすぎず、動機が了解不可能であるとまで言っているわけではないから、右庄盛、保崎及び斎藤の各鑑定は、いずれも、被告人の知能障害、爆発的性格等の影響による精神的な未熟さや短絡的な思考が窺われるものの殺意を抱くに至った動機として了解不可能であるとはいえないという前記判断と合致するものであって、弁護人の右主張は採用することはできない。

(二) 次に、本件犯行前の被告人の行動についてみるに、被告人は、A子との同居生活において、家事やA子の身の回りの世話をよくつとめ、時折近隣の住民に対し粗暴な振る舞いをしていたことが認められるものの、それも通常の理解を超えるほどの異常な行動ではない。

また、A子の所在がわからなくなった後の被告人の行動は、派出所に家財道具等の盗難を訴えたり、A子と取引があった郵便局や農協に行って、A子から住所変更の届けが出ていないかを尋ね、また、福山市役所に赴いて、A子から住所変更届等が出されていないか尋ねたり、同市役所係員に横浜市のD子の住所を調査させるなどしており、これらの所在調査の行動は、目的にかなった合理的なものであるということができる。

次に、被告人はB子夫婦らの殺害を決意するや、金物店において、十分な殺傷能力のある鋭利な出刃包丁を購入していること、B子夫婦やC子の拒否的態度から、被告人自身が面会を求めても対面は不可能であると考え、同人らを呼び出すためにQやRに経緯を説明し、呼び出すだけでよいからと言って、それぞれ五〇万円の報酬を与える旨の約束のもとに報復の助力を頼んでいること、自らC子やB子夫婦殺害の計画を立て、同人らを呼び出し、門扉を開けさせるための口実を考えるなどしており、さらに、犯行場所二か所への移動手段としてタクシーを確保し、犯行当時の朝、行動に支障をきたさないようにビールの量を少な目に抑えたりするなど、犯行を計画し、犯行に至るまでの準備段階においても、被告人の行動は、かなりの心配りを示しており、目的にかなった合理的なものである。

さらに、前記のとおり、乙山においては、QやRが居る場所で殺害を実行しては同人らに責任が及ぶと考え、店内に入っても直ちに犯行には及ばず、同人らに目顔で合図を送り、同人らが店内から立ち去った後に犯行に及んでおり、また、殺害行為については、G及びB子に対しては、その頚部めがけて出刃包丁で強烈な第一撃を加えているのに対し(その結果、Gについては急所をやや外しているものの、B子については第一撃のもとに絶命している。)、E子に対しては、当初は、手で二、三回突き飛ばし、さらに、出刃包丁で同女の腹を力を入れずに突いたりして、食い下がってくる同女の排除を試みており、被告人の殺害行為は、当初から殺害目的を有していたB子及びGと当初は殺害目的のなかったE子に対するのでは全く異なる配慮を示しており、それは被告人の目的にかなった合理的なものである。

(三) 被告人は、本件犯行の時点において、意識は清明であり、その後、本件犯行に至る経緯、犯行態様及び犯行前後の行動について警察官及び検察官に対して具体的かつ詳細に供述しているところ、その供述内容はほぼ一貫しており、他の証拠から認められる客観的事実ともよく符合しているのであって、被告人の記憶は明瞭であり、記憶の混乱はみられない。

(四) 所論は、被告人は、D子名義の置き手紙を隣人に読んでもらっているから、A子自身が失踪に関与していることは容易に理解できるはずであるのに、被告人はA子が連れ去られたと認識しているのは、被告人の判断能力が極めて低いことを示すものであると主張するが、被告人が市役所等にA子の住所変更届が出されていないか調査していることや、被告人の捜査段階の供述調書によると、被告人は、A子はD子らに騙されて失踪したものであると当時考えており、A子の意思に反して無理矢理連れ去られたとは考えていないものと認められるから、被告人がA子の真意を理解していない点に知能障害の影響はあるとしても、所論のいうように被告人の判断能力が極めて低いとまでいうことはできない。

また、所論は、被告人は、乙山においてGに対して犯行を行う前に、Gは被告人の弟の名前や同人が経営する会社、その電話番号を紙片に書かせているが、この行動は了解不可能であると主張するが、被告人は、捜査段階において、右のような行動をとった理由として、自分のやった事件であることを明らかにし、自分が殺人を犯したことにより弟に迷惑を及ぼそうとした旨供述しており、右の理由自体、これまで弟とトラブルがあった(本件犯行前にも、被告人は、弟の会社の自動販売機を壊し、罰金刑を受けている。)ことに照らすと、所論のいうように了解不可能なものではない。

さらに、後記のとおり、被告人は、本件殺人の犯行後、警察へ電話して、D子やC子に会ったときに危害を加える、場合によっては殺したいという意図のもとに、D子やC子を警察に呼んでくれるように要求していることが認められるところ、所論は、被告人が前記意図を実現することは客観的には不可能であり、被告人が客観的に実現不可能な右のような意図を抱いていたということは、判断能力を欠いていたことを証するものであると主張する。しかし、被告人は、本件犯行後、その言動等からかなりの興奮状態にあり、また、前記犯行に至る経緯から、D子やC子に対する激しい怒りを有していたと認められるから、右の犯行後の興奮状態及びD子やC子に対する激しい怒りなどを考慮すると、右のような客観的には実現不可能な意図を抱いたことをもって、直ちに判断能力を欠いているか、あるいは、判断能力が著しく劣っていたものであるということはできない。

5  責任能力についての判断

以上の諸事情に基づいて、被告人の本件犯行当時の責任能力について判断するに、前述したとおり、被告人には、軽度の知能障害があり、爆発的な性格を有すること、C子、B子及びGの三名に対して殺意を抱くに至った動機には、被告人の精神的未熟さと極めて短絡的な思考が窺われ、E子に対する殺人も性急さ、安易さが指摘されることに照らすと、被告人は、是非善悪を弁別し、それに従って行動する能力が、通常人に比して劣っていることが認められる。

しかしながら、被告人の知能障害は軽度なものであり、被告人の爆発的、執着的な性格も、一定の自制を働かせることができ、責任能力に影響を与える程度には至っていないこと、被告人の犯行の動機は、B子及びGに対する殺人並びにE子に対する殺人について、いずれも了解不可能ではないこと、前述した被告人の日常生活における行動、A子が失踪した後のその所在調査における行動、B子らに殺意を抱いてからの犯行準備行為、さらに、B子及びGとE子に対する各犯行態様については、いずれも目的にかなった合理的な行動を取っていること、被告人の犯行時の意識は清明で、その後の記憶も明瞭に保たれていること等の諸点を総合考慮すると、被告人は、本件各犯行当時、是非善悪を弁別し、それに従って行動する能力が存し、かつ、その能力は、著しく減退した状態にはなかった。すなわち、完全責任能力を有していたと認めるのが相当である。

なお、所論は、被告人のように、知能障害と性格異常が結びついている場合には、単独では責任能力に影響がなくても、それらが結びつくことによって責任能力に影響を与えると主張する。しかしながら、被告人の知能障害の程度が軽度であり、爆発性等の性格異常についても、一定の自制を働かせることができるなど著しいものではないことに照らすと、知能障害と性格異常を総合しても、責任能力に影響を与える程度には至っていない(心神喪失または心神耗弱とはいえない。)と認められ、所論は採用することはできない。

もっとも、保崎鑑定は、被告人は一般的には是非弁別能力及び行動制御能力は認められるが、本件の犯行直前のように特別に計画された状況に対応する犯行においては、被告人の知能程度、性格傾向を総合すると、是非弁別能力及び行動制御能力は著しく障害されていたと判断しており、弁護人も、当審の弁論において、保崎鑑定の結論が妥当である旨主張している。

確かに、A子やその周囲の者によってなされた計画(被告人を騙して大阪に行かせている間にA子が転居する旨の計画)が、結果的には、被告人のプライドを傷付け、被告人の心理的安定をだまし討ちにするような形で奪い去ったということが被告人の本件殺意形成に大きく影響していることは認められるが、責任能力の判断については、被告人が特別に計画された状況を看破し、これに対処する能力をみるのではなく、本件犯行当時において、人を殺害することについての是非弁別能力及び行動制御能力をみなければならないのであって、その観点から検討すると、前述のとおり、被告人の責任能力は、通常人に比して劣っているものの、著しく減退した状態にはないと認められるから、右の保崎鑑定の結論を採用することはできない。

以上のとおりであるから、被告人に完全責任能力を認めた原判決には事実の誤認はなく、被告人は心神喪失または心神耗弱である旨の論旨(四)は理由がない。

第二  控訴趣意中、量刑不当の論旨について

論旨は、要するに、原判決は被告人を死刑に処しているが、被告人が、本件犯行(三人に対する殺人)について自首をしていること(弁護人は、原判決が自首の成立を認めながら、減軽しなかった点につき、原判決が自首による刑の減軽を不相当とした判断の基礎となった事実を誤認していることを主張するものであると釈明しており、原判決が量刑の前提となる事実を誤認している旨の主張であると認められる。)、本件犯行は、直接的な被害者ではないものの、A子の態度及び行動が誘因となって行われたものであり、C子はA子が被告人を騙して転居するという計画をA子とともに計画し、B子やGも、右計画を認識し、側面から協力していたものであり、本件において、被害者側にも大きな落ち度が認められること、被告人は、命を奪った三名の被害者に対して申し訳ないことをしたとわびており、また、これまでの生き方を後悔し、反省していることなどに照らすと、死刑という極刑をもって臨む原判決の量刑は重過ぎて不当である、というものである。

そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討する。

(自首減軽について)

一  所論は、原判決が、自首の成立を認めながら減軽していない点につき、被告人は、いまだ官に発覚しない前に、自ら進んで捜査機関に対して自己の犯罪事実を申告し、その処分を求めており、その申告の中におよそ実現不可能な独自の欲求が含まれていたとしても、自首そのものの制度に背反するものではなく、また、被告人は、D子やC子に対して面会を求めているが、それは、原判決がいうようにその面会の機会を利用して危害を加えようという意図があったのではなく、そもそもそのようなことは実現不可能であるから、自首の成立を認めながら減軽していない原判決は不当であると主張する。

二  そこで、検討するに、前述のとおり、被告人は、本件の殺人の犯行の後、タクシーに乗って逃走中、タクシーに停車を命じ、付近の公衆電話からQに警察に電話をかけさせ、被告人が電話を代わり、警察官に対し、犯行の責任は取ると告げ、D子とC子を警察に呼んでくれたら、出頭するなどと述べ、タクシーの運転手Sに電話を代わり、被告人らの現在居る場所を告げさせ、その場所に急行した警察官によって福山西警察署に任意同行されたという事実関係によると、B子ら三人に対する殺人罪につき自首が成立するということができる。

しかし、右のとおり、被告人は、警察への電話において、D子やC子を警察に呼んでくれるように要求しているところ、前述の犯行に至る経緯から明らかなように、被告人がD子やC子に対して強い怒りを抱いていたこと、被告人は、原審公判廷において、警察への電話には、D子やC子に対する恨みをはらすために同人らを殺す目的があったことを認めていることに照らすと、右電話における警察に対する要求の意図は、D子やC子に会ったときに危害を加える、場合によっては殺したいというものであったことが認められる。これに対して、A子を探すためだけであるという当審公判廷における供述は、前記犯行に至る経緯、被告人がD子やC子に対し強い怒りを抱いていたという事情や右の被告人の原審公判廷における供述などに照らすと、不自然であり、信用することはできない。

確かに、所論のいうように、D子やC子を警察に呼んでもらい、被告人の前記意図を実現することは客観的には不可能ではあるが、被告人は、本件犯行後、その言動等からかなりの興奮状態にあり、また、前記犯行に至る経緯から、D子やC子に対する激しい怒りを有していたと認められるから、被告人の判断能力等をも考慮すると、右のような意図を抱いたことが不自然であるということはできない。

したがって、自首によって減軽するかどうかは裁量であるところ、被告人の右のような意図を考慮し、自首による減軽をしなかった原判決の判断はその裁量範囲を逸脱した不当なものであるということはできない。所論は採用することはできない。

(量刑について)

一  本件は、被告人が、留守の間に同居していたA子が突然姿を消し、その行方を捜索しても全く所在がつかめず、A子の長子B子、G夫婦やA子の次女C子の家に行き、A子の所在を尋ねるも、冷淡に追い返されたことなどから、A子の所在がつかめない絶望感とB子らの冷淡な対応への立腹から、同人らに対し殺意を抱き、凶器である出刃包丁を購入し、同人らに門扉を開けさせることなどをQやRに依頼するなど周到な準備をした上、(一)まず、C子方に赴き、C子が門扉を開けたところを殺害しようと考え、凶器である出刃包丁を携え、Qに虚偽の用件を述べさせてC子が門扉を開けるのを待ち受けて、同女を殺害する機会をうかがい、殺人の予備をした(結果的には、C子が右用件を不審に感じ、門扉を開けなかった。)(原判示第一の殺人予備)、(二)引き続き、B子方(お食事処乙山)に赴き、Q及びRが乙山の客を装って店内に入った後、そのすきに被告人がB子方に侵入し、まず、殺意をもって、いきなり前記出刃包丁でG(当時五六歳)の右頚部付近を一突きし、逃げようとする同人の胸部や右横腹を突き刺し、次に、その場に遭遇したGの母E子(当時七七歳)が被告人にしがみついて制止しようとし、邪魔しないように言っても応じなかったので、同女に対し、とっさに殺意を生じ、出刃包丁で多数回にわたり同女の胸部や腹部等を突き刺し、さらに、B子方二階から階段を降りてきたB子(当時五四歳)に対し、階段途中において、殺意をもって、右出刃包丁を正面下方から突き上げるようにして同女の頚部を突き刺し、その結果、まもなく三人ともその場において死亡させて殺害した(原判示第二の三名に対する殺人)、(三)正当な理由がないのに、右(一)及び(二)の日時場所において、前記出刃包丁一丁を携帯した、というものである。

二  まず、本件各犯行を決意するに至った動機、経緯についてみるに、自分が留守の間に同居していたA子が突然姿を消し、外国人登録証明書等自己の大切な持ち物までなくなっているという事態に直面して激しい衝撃を受け、置き手紙からD子らがA子を騙して連れて行ったものと認識し、A子やD子らの所在を探して被告人なりに手を尽くしたが、全く所在がつかめず、文字を読み書きできないという能力の限界も感じ、次第に絶望的な気持ちに陥ったこと、B子夫婦やC子の家に行き、A子の所在を尋ねるも、冷淡に追い返されたことなどから、右のB子らの冷淡な対応に加え、A子から頻繁にB子ら娘に対する不満、怒りを聞かされていたことも影響して、B子夫婦及びC子に激しい立腹、憎悪の気持ちを抱いたことについては、理解できないことではない。

しかしながら、殺害されたB子及びGは、A子が行方不明になり、被告人の持ち物等もなくなっていたことについて、直接の当事者ではなく(被告人自身、そのように認識していた。)、絶望感や冷淡に追い返されたこと等からの怒りがあったとしても、そのことから殺害を企図したということは、仮にD子らの殺害を企図した場合と比べても、より一層短絡的であり、極端な人命軽視の犯行であるといわざるをえない。また、E子については、息子を救うベく被告人にしがみついてきただけであり、修羅場におけるとっさのこととはいえ、高齢で体力的に問題にならない同女に対し、二、三回突いたりして排除を試みただけで、目的の犯行にとって邪魔になるからというだけの理由で殺意を抱いたことは、同様に、極めて短絡的で極端な人命軽視の犯行である。

所論は、本件各犯行は、A子の態度が誘因となって行われたものであり、C子はA子が被告人を騙して転居するという計画をA子とともに計画し、B子やGも、右計画を認識し、側面から協力していたものであること、A子は、B子夫婦やC子に対する不満、怒りをたえず被告人に語っていたものであり、娘であるB子夫婦やC子のA子に対する冷淡な対応も本件の原因となっていることに照らすと、被害者側にも大きな落ち度が認められると主張する。

確かに、A子が、亡夫の兄が来るからと被告人を騙して大阪に行かせ、その間に転居して所在を隠し、外国人登録証明書等被告人の持ち物まで持ち去った(これらの物は、大阪在住の被告人の義兄宛てに宅急便で送っている。)ことが被告人に与えた衝撃の程度には非常に大きいものがあり、A子が被告人と別れたいという気持ちを抱いたとしても、他に適当な取りうる手段がなかったかどうか疑問なしとはしないし、A子は、被告人に対し、これまでB子夫婦のA子に対する冷淡な態度について、不満や怒りを聞かせており、それが本件犯行の動機に影響していることも否定できない。

しかしながら、B子及びGについては、右のような計画自体には関与しておらず、単にC子からその概要の報告を受けていたに過ぎないし、C子についても、母親であるA子から懇請されて、A子のことを思う気持ちから協力したに過ぎないものであること、被告人がA子の行方を尋ねてきたのに対し、所在を知らないと答え、それまでの被告人の言動等から、その後の面談を避け続けたこと自体、非難するには当たらないこと、これまで、A子とB子やGとの間で借金の件や墓石の件でいろいろともめ事があったとしても、それは母親と娘夫婦の問題であって、被告人がこれに介入し、B子夫婦に制裁を加えるような問題ではないことなどに照らすと、直接の被害者であるB子及びGについては特に落ち度があるということはできない。また、E子については、たまたまGに対する犯行の場に遭遇し、自己の息子に対する犯行を制止しようと被告人にしがみついたものであって、何ら落ち度がないことはいうまでもない。所論は採用することはできない。

以上によれば、本件犯行の動機、犯行に至る経緯について、特に酌量すべき事情を見出すことはできない。

三  次に、被告人は、犯行を決意するや、金物店で極めて鋭利で強靭な出刃包丁を購入し、被害者らを呼び出す役目を担わせるため、JR福山駅周辺で浮浪者生活を送っていたQ及びRに対し報酬を約束して誘い込み、被害者に門扉を開けさせるための口上を練習させるなど、本件犯行に向けて周到な準備をしているものであって、本件は強固な犯意に基づく非常に計画的な犯行であるということができる。

そして、その犯行態様については、前記のとおり、Gに対しては、いきなり出刃包丁でGの右頚部付近を一突きし、悲鳴をあげて逃げようとする同人の胸部や右横腹を突き刺し、その犯行の場に遭遇したE子に対して、被告人にしがみついてきたことから、出刃包丁で多数回にわたり同女の胸部や腹部等を突き刺し、二階から階段を降りてきたB子に対し、階段途中において、いきなり右出刃包丁を正面下方から突き上げるようにして同女の頚部を突き刺したもので、いずれの犯行も、無防備な各被害者に対し、いきなりその動・静脈や枢要な内臓の器官に重大な損傷を与える強烈なものであり、そこには確定的で強固な殺意が窺え、まさに残虐かつ凶悪な犯行であるといわざるをえない。

また、C子に対する殺人予備についても、同女がQの口上を不審に思って門扉を開けなかったことから、幸いにも実現に至っていないが、被告人は出刃包丁を持って待機していたものであり、仮にC子が門扉を開けていたら同様な凶行が行われていた可能性は非常に高く、本件殺人予備についても、危機一髪ともいうべき危険な態様のものである。

四  本件は、被害者三名のかけがえのない生命を奪ったものであって、その結果は極めて重大である。

Gは当時五六歳、その妻B子は当時五四歳で、夫婦仲は円満で、ともに協力して飲食店乙山を経営していたものであり、E子は、当時七七歳の老齢ではあったが、特に健康状態に不安はなく、次男夫婦や孫に囲まれて、平穏な余生を送っていたものである。しかも、B子やGは、前記のとおり、A子の転居計画に関与しておらず、特に本件に関し落ち度があるとはいえず、E子については、たまたまその犯行の場に遭遇したに過ぎないのに、いずれも本件によって非業の死を遂げるに至ったものであり、被害者三名の無念さ、死に至るまでの恐怖には察するに余りあるものがある。

さらに、被害者三名の遺族の悲嘆は計り知れず、その被害感情には極めて厳しいものがあり、被告人に対し極刑を望む心情は理解しうるところであり、これに対して、被告人は、現在に至るも、何らの慰謝の措置を講じていない。

五  本件は、早朝、日頃平穏な地域において突然発生した殺人事件であり、しかも殺害された人数が三名に上るという凶悪事件であって、地域住民はもちろん社会全体に多大な衝撃と不安を与えたものである。

六  被告人の前科についてみるに、前述のとおり、被告人は、昭和二四年六月に窃盗罪により執行猶予付の懲役刑に処せられたことを始めとして、昭和二四年ころから同六二年ころまでの間、窃盗、傷害、恐喝等の犯罪を繰り返し、一五回の懲役刑と五回の罰金刑に処せられ、服役期間は通算二〇年を超えており、その前科の中には、昭和三〇年に、刑務所内で受刑者と口論となり、天秤棒で相手の頭部を強打して脳挫傷により死亡させたという殺人の前科もあるのであって、被告人の法規範軽視の性向には大きなものがある。

七  これに対し、酌むべき事情として、前述したとおり、被告人は、軽度の知能障害と爆発的な性格のため是非弁別能力及び行動制御能力が通常人と比べて著しい程度でないにせよ低下しているものであること、そのような被告人に対し、被告人を騙して被告人が留守の間にA子が転居するという計画は、極めて大きい衝撃を与えるものであったこと、E子に対する犯行は、偶発的なものであり、また、いきなり殺害行為に及んだものではなく、当初は、二、三回手で突き飛ばし、その後、出刃包丁でも軽く腹を突いて、組み付いてくる同女を排除しようと試みていることが認められる。

また、当審における事実取調べの結果によれば、被告人は、当審において気持ちの変化を示し、現在において、三名の被害者の命を奪ったことを真摯に反省し、深く謝罪する気持ちを示していること、被告人は、勾留中に文字の読み書きを勉強し、被告人の作成した上申書をみると、漢字を含む文字の読み書きにつきかなりの進歩を示していることなどの酌むべき事情も認められる。

八  そこで、以上の事情をふまえてさらに検討を進めるに、死刑制度を存置する現行法制の下では、犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許される(最高裁判所昭和五八年七月八日第二小法廷判決・刑集三七巻六号六〇九頁)。

そして、前述したように、本件犯行の罪質、本件犯行が非常に計画的で、その態様が極めて残虐であること、その動機に特に酌量すべき事情は認められないこと、本件犯行により三名の生命を奪うという極めて重大な結果を生じていること、遺族らの被害感情、社会的影響、被告人の前科関係等の事情を併せ考察したとき、被告人の刑事責任は極めて重大である。

したがって、死刑が人間存在の根元である生命そのものを永遠に奪い去る冷厳な刑罰であり、その極刑を選択するにあたっては最大限慎重な配慮を臨むべきであるということを考慮し、前記のような、被告人の是非弁別能力及び行動制御能力が通常人と比べて低下していること、本件犯行の誘因となったA子の転居計画が被告人に与えた衝撃の程度が大きいものであること、E子に対する犯行が偶発的なものであり、当初は一定の配慮を示していること、被告人は、現在において、三名の被害者の命を奪ったことを真摯に反省し、深く謝罪する気持ちを示していること、被告人は、文字の読み書きを勉強し、文字の読み書きにつきかなりの進歩を示していることなどの酌むベき事情を最大限斟酌し、さらに、犯行の動機、経緯、犯行の態様、殺害された被害者の数など、その犯情の点で本件と同種の各事案とを比較し、慎重に検討してみても、被告人においては極刑をもって臨むほかないものといわなければならないから、被告人を死刑に処した原判決の量刑が重過ぎて不当であるということはできない。論旨は理由がない。

第三  憲法違反の論旨について

論旨は要するに、死刑は憲法三六条の禁止する残虐な刑罰に該当するから、被告人を死刑に処した原判決は憲法三六条に違反していると主張し、その根拠として、憲法は国民の生命に対する権利について最大の尊重を必要とすると規定しているから、法が人の生命を奪うことはできないこと、残虐な刑罰の観念は時代とともに変化するから、日本が世界有数の文化国家となり、また、世界の多数の文化国家で死刑が廃止されていることに照らすと、残虐な刑罰の観念は見直されるべきであること、現在日本で行われている死刑の執行方法は絞首であるが、この執行方法は人道上残酷と認められる刑罰に該当することを挙げている。

しかしながら、国民の生命に対する権利について最大の尊重を必要とすることは所論の主張するとおりであるが、死刑は究極の刑罰かつ冷厳な刑罰であるも、刑罰としての死刑そのものは憲法三六条のいわゆる残虐な刑罰には該当しないと解され、それは最高裁判所の判例とするところであり(最高裁判所昭和二三年三月一二日大法廷判決・刑集二巻三号一九一頁)、所論の主張するような時代の変化及び世界各国の死刑制度の状況等を考慮しても、現在においても、右の結論を変更する必要は認められない(このことは最近の最高裁判所の判決においても明確に確認されているところである。)。

さらに、現在日本で行われている死刑の執行方法である絞首の方法が憲法三六条の残虐な刑罰に該当しないと解され、それも最高裁判所の判例とするところであり(最高裁判所昭和三〇年四月六日大法廷判決・刑集九巻四号六六三頁)、現在の時代背景の下においても、刑罰としての死刑の執行方法として人道上残酷とは認められない。

よって、死刑は憲法三六条の禁止する残虐な刑罰には該当しないと解すべきであるから、論旨は理由がない。

第四  結論

以上のとおり、弁護人の論旨はいずれも理由がないから、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 荒木恒平 裁判官 松野 勉 裁判官 大善文男)

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